数年前のある日、その日まで皆勤賞だった男子生徒が学校を欠席した。
電話越しに欠席の理由をこう話した。
「飼っていた犬が昨日の晩に亡くなりました。
ちゃんとさよならがしたいので学校を欠席します。」
その男子生徒に対して、その時に何と言葉を掛けてあげれば良かったのか、朝のバタバタした時間帯であったため、私は曖昧でいい加減な返答で電話を切ってしまった。
彼の担任からの報告では、その男子生徒はずっと母親とうまくいっていないようだったが、動物が好きで、その愛犬を大切にし、自分の心の拠り所にしていたようだ。
そんな愛犬との別れ。
翌日、彼は何もなかったかのように元気に登校した。
私は朝の挨拶運動で校門前で彼を待ち、昨日のそっけない電話対応を謝ろうと思っていたが、予想とは異なり、屈託のない明るい表情だったので、ゆっくりと小さな声でこう声を掛けた。
「しっかりと、さよならはできたか?」
「はい。できました。また今日から頑張ります。ありがとうございます。」
現在、彼は国立大学の医学部に進学し医者を目指している。
卒業文集に書いてあった彼の文章がとても印象的だったので鮮明に覚えている。
「僕は将来、たくさんの人たちを笑顔にできるような職業に就きたいです。
いや、就きます。
誰かの笑顔のために強く生きていきたいです。」
あの時の愛犬が、中学生時代の沈んでいた彼の心に寄り添い、笑顔にしてくれていたのだろう。
彼には、一人でも多くの患者さんの命を救い、その患者さんも、その家族も笑顔にできるように頑張って欲しい。
「動物は、子どもにとって言語を持たない先生であり、心を許せる友人である」
動物を飼っている人は、家族の一員として一緒にいる。
しかし、お別れする時が悲しすぎるから、敢えて飼わない人も多い。
でも、中にはそんな動物たちを虐待する人間もいる。
怒りしかない。心が無さすぎる。同じ人間として恥ずかしくなる。
私も犬を飼っているので、いつかはお別れの日が来るのだろうと思いながら、毎日一緒にいるが、今日帰りの電車の中で、たまたま見かけた下の記事を読んだ時、人目も憚らず泣いてしまった。
一緒にいれる時間をもっと大切に過ごさないと、と改めて思った。
私の愛犬とも、そして、私の家族とも。
「もうすぐ死を迎える飼い犬のつぶやき」
おかーさん。
なんでボクだけ、ハダカんぼうやったん?
おかーさん。
なんでボクだけ、シッポついてたん?
おかーさん。
なんでボクだけ、おててつかんとあるけへんかったん?
おかーさん。
なんでボクだけ、つくえでゴハンだべられへんかったん?
おかーさん。
なんでボクだけ、みんなとオシャベリでけへんかったん?
おかーさん・・・。
なんでボクだけ、さきにしんでしまうん・・・?
おかあさんからの返答
よう聞き。
おしゃべり出来んかったって、何言うてんの。
あんたいつもしゃべってたやないの。
ほれエサちょーだい、水ちょーだい、ササミちょーだいだの、
みんなに言うとったやないの。
みんなおまえの言う事、ぜーんぶ解っとったやろ?
おかーさんもおとーさんも、にいちゃん、ねえちゃんかて、ちゃんと返事してたやろ。
おかーさんに「行ってらっしゃい」は、よう出来んかったなぁ。
おかーさんが「行ってきます」しても、いつも行かんといて行かんといてって言うとったなぁ。
そういえば、おまえはまだ自分で「行ってきます」言うた事、無いんやな…
はじめての「行ってきます」やな…
おかーさんも「行ってらっしゃい」言いたないなぁ。
おんなじやんな、行ってらっしゃいって、こんなに辛いんやな
何度も行ってらっしゃいさせてしもて、ごめんなぁ…
ほら、身体、つらいんやろ?
もう、目ぇ閉じや。
おかーさんも、そのうち行くから待っててな。
向こうで会えたら、もう行ってきますも行ってらっしゃいもなくなるよ。
「行ってらっしゃい。」
私は、この後、少し涙目のまま家に着き、玄関先でいつもより大きな声で、家族に「ただいま」と言い、愛犬を思いっきり抱きしめた事を覚えている。
それでは、また明日。