「あずぶろ。」

現役中学校教師の頭の中。時々、私が好きなもの。

「学校教育」とは何か。「学びの本質」とは何か。

「自由」を認め合い、「自由」に生きるための力を育む

 教育の目的を、経済的成功や受験合格だけに設定するのなら、オンラインで家庭教師

をつけ、動画を見て勉強したほうが効率がいい。

 残念ながら、現時点ではそのような状況の学校もある。

 だとしたら、学校は不要なのか。

 子どもたちは、なぜ学校に通い、そこで学ぶ必要があるのか。

 子どもたちにとって、学校は「通いたい」と思える場所なのか。

 

 本来、学校教育は、受験のための知識習得だけではなく、さまざまな体験や喜びがあ

る場所だったはずだ。

 そしてこれまでも、そのことに心を砕き、尽力してきた教師も多い。

 しかし、やはり現在の学校のシステムでは多くの限界があることも否めない。

 公教育は、この150年間、システムとしてほとんど変わってこなかった。

 同質性の高い学年や学級のなかで、みんなで同じペースで同じように学ぶ仕組み。

 そこでは当然、授業についていけない子どもや物足りないと感じる子どもも生まれて

しまう。

 同調圧力やいじめも起きやすく、さまざまな問題が噴出している。

 同じ年齢の子どもたちのなかで点数や成績によって評価されると、小さな違いや勝ち

負けに敏感になる。

 競争が始まり、優越感や劣等感も生まれてしまう。

 そして同時に、少数意見を有する者に対して、暗黙のうちに多数意見に合わせるよう

に誘導する同調圧力が生まれ、違いを認められずに差別につながることもある。

 そのような学校教育の課題をどう改善することができるのか。

 

 子どもたちは、自分に合う方法やペースで学び、必要に応じて人の力を借りたり貸し

たりして支えられる環境が必要だと思う。

 

「あなたの存在は本当に尊い」が土台

 さらに、「できあいの問いと答えを学ぶ学び」から、「自分なりの問いを立て、自分

なりの仕方で、自分なりの答えにたどり着く探求型の学び」への転換が必要だ。

 この前提として、信頼と承認の場づくりが必要です。自分の学びが尊重されると、他

者の学びも尊重しようと思えるようになる。

 つまり、あなたの存在は本当に尊いということを土台にしなければならない。

 

 教育(学校や教師)は何のために存在しているのか

 

「すべての子どもに『自由の相互承認』の感度を育むことを土台に自由に生きるための

力を育むため」である。

「自由の相互承認」とは、市民社会の根本原理であり、「お互いを対等に自由な存在同

士として認め合い、そのうえでお互いの自由を調整し合うこと」。

 そのためには、世代を問わず多様な人たちがともに学ぶ「ごちゃまぜのラーニングセ

ンター」のような環境を実現することが必要だ。

 つまり、教育の目的は、他人と争って生き残りやすくなるためのものではない。多様

な価値観を持つ多様な人たちとそれぞれを認め合い、お互いに自由に生きることを目指

すものである。

 そしてこれからの時代、教育によって、そのような社会を実現することのできる人間

に1人1人が成長することが必要だ。

 

 私は、子どもたちを観察し、子どもたちを信頼して任せ、『何もしない』ことができる先生でありたい。