「あずぶろ。」

僕の頭の中。時々、僕が好きなもの。

「なめてかかって真剣にやること」の重要さ(第2話)全3話

 

「なめてかかって真剣にやること」の重要さ(第2話)全3話

 

飛び越えた先にあるもの

 

 飛び越えた壁の後ろは上り坂になっている(たぶん悪路、道なき道)。

 

 この坂で、「なめてかかった」天狗鼻はへし折られる。

 多分、松坂選手も自分の小生意気だった考え方を改めているに違いない。

 怪我やスランプを経験して、相当に試されているはずだ。

 だがその分、彼は真剣さに磨かれたいい顔つきになった。

 

 その坂では、いろいろと真剣にもがかねば転げ落ちてしまう。その坂はリスク(危

険)に満ちているが、それは負うに値するリスクだ。

 挑戦の坂を見事上りきると、「成長」という名の見晴らしのいい高台に出る。高台か

らは、最初に見た壁が、今となっては小さく見降ろすことができるだろう。

 このように壁の向こうの未知の世界は危険も伴うが、それ以上にチャンスがある。

 では、次に、壁のこちら側はどうなっているのか。

 ここは既知の世界であり、確かに平穏や安心がある。しかし、その環境にひたって変

化を避け、挑戦を怠けているとどうなるか。

 

 壁のこちら側の世界は実はゆるい下り坂になっていて、本人はあまり気付かないだろ

うが、ずるずると下に落ちていく。

 そしてその落ちていく先には「保身の沼」、別名「ゆでガエルの沼」がある。

 

 ちなみに、ゆでガエルの教訓とは次のようなものだ。

 生きたカエルを熱湯の入った器に入れると、当然、カエルはびっくりして器から飛び

出てくる。

 しかし、最初から器に水とカエルを一緒に入れておき、その器をゆっくりゆっくり底

から熱していくと、不思議なことにカエルは器から出ることなく、やがてお湯と一緒に

ゆだって死んでしまう。

 

 この話は、人は急激な変化に対しては、びっくりして何か反応しようとするが、長い

時間をかけてゆっくりやってくる変化に対しては鈍感になり、やがてその変化の中で押

し流され、埋没していくという教訓である。

 

 壁を越えずにこちら側に安穏と住み続けることにもリスクがある。このリスクは、壁

の向こう側のリスクとはまったく異なるものである。いつの間にか忍び寄ってくるリス

クであり、気が付くと(たいてい30代後半から40代)、ゆでガエルの沼にとっぷりつか

っている。

 そこから抜け出ようと手足をもがいても、思うように力が入らず、気力が上がらず、

結局、沼地でだましだまし人生を送ることになる。安逸に流れる“精神の習慣”は、中高

年になってくると、もはや治し難い性分になってしまうことを肝に銘じなくてはならな

い。

 常に未知の挑戦世界へと目をやり、大小の壁を越えていくことを習慣化する必要があ

る。

 

街にあふれる「何でやねん」シリーズ

①ホンマでっか?

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良き週末を。