「あるボクサーの過去」
僕がボクシングを始めた理由。
それは、中学の時のイジメだ。
相手に仕返しするためじゃない。
自分の身を守るため。
パンチを打つのではなく、
相手のパンチをよけるため。
あの日から、僕は強くなりたいと思った。
僕は北海道の豊浦町で生まれた。
家は本当に貧しかった。
そして、僕には父親の記憶がない。
僕が生まれてすぐに離婚したらしい。
母親は、自宅の離れで食堂兼民宿を営み、
朝から晩まで忙しく働いた。
なにも買ってもらえなかった。
中学時代当時の僕は、身長が140センチ。
相手は170センチ以上あるやつもいて、
喧嘩してもかなわないと思った。
僕は笑いものにされ、パシリをさせられ、
それでもご機嫌をとり、媚を売って生きていた。
母親には隠していたけれど、
ある日、お腹が痛くて病院に行くと、
胃潰瘍ができていた。
中学三年生になって、
僕へのイジメはさらにエスカレートした。
モノを隠され、
靴を捨てられ、
服を脱がされた。
もう、限界だと思った。
カラスやスズメ、虫でもいい。
人間以外のものになりたかった。
学校に行きたくなかった。
その時、佐々木先生が異変に気付いてくれた。
先生は、小さくて、
運動神経が良くて、サッカー部の顧問。
歳は25歳くらい。
生徒との距離が近くて、
冗談が通じる柔らかい雰囲気を持った人。
その佐々木先生が
ホームルームでこう切り出した。
「最近、誰かが、誰かをからかっている。
特定の人に、ひどいことをしている。
誰がやっているか、思い当たる人は手を挙げろ。」
誰も答えない。
すると先生は、大声でアイツの名を呼んだ。
「お前のことを言ってんだよ」
教室はシーンとなった。
僕は、ビックリした。すごいと思った。
こんな大人もいるんだと思った。
先生が叫んだその日から、
僕へのイジメはおさまった。
そして、僕はボクシングを始めた。
不思議なことに、強くなると、
やり返そうという気持ちがなくなった。
「先生のひとことで、僕は救われたんだよ」
フライ級の日本一になって
北海道に帰った時、先生のそう言った。
先生は、変わらぬ優しい笑顔で、
小さくうなずいた。
WBC世界フライ級・日本フライ級 元王者
内藤 大助
息子とキャンプしに行ってきました。
心身ともにリフレッシュ。
また、明日から頑張ろう。
また、明日。