「学校のニューノーマルを創造する」
山口県の中学校が、生徒たちに「体育座り」を極力させないという取り組みが始まった。
愛知県の小中学校には、「ファイヤートーチ」という棒に火を付けて振り回すダンスがある。
数年前に大火傷をした生徒が出て、名古屋市内では全面的に廃止になった。
思い返せば、私自身も若い時は、中学校3年生最後の体育祭では、必ず難易度の高い創作組体操をしていた。
難易度を上げると、当然怪我をするリスクも高まる。
指示が聞けない生徒たちが多すぎると、さらにリスクが上がるため、「やめる」という選択肢もあったが、周囲の反対を押し切り実施に踏み切った。
想定通り、トラブル続きだった。
失敗すれば人のせい。ケンカ。女子はどう考えても当日も絶対できない。練習でもタワーは上がらない。
最悪のスタートだった。
周囲は、「やっぱりな」「無理やで」「やめた方がいいんじゃないですか」
それでも、本気で挑んでいた私は、子どもたちにも、大人たちにもなぜこれをやるかを説いた。
「怪我人は一人も出さず、絶対に成功させる」
私は転勤すると、いつも3年生に配属され、組体操を、当時荒れていた学校、学年を一つにするための「手段」にしていた。「目的」は、しっかりと他にあるが。
普段は教師の言うことを一切聞かない生徒たちが、目の色を変え、こちらが与えた高いレベルの課題に真剣に向き合っってくれた。
毎日遅刻してくる生徒たちが、主体的に朝練を始めた。
当日、全てが成功した。今でもその光景が焼き付いている。
会場が感動に包まれた。みんなが泣いている。一つになった。
安心感と達成感で、生徒と一緒に号泣した。そして、それは、「伝説」になった。
社会への不満や将来への不安を抱えた生徒たちは、涙を流しながら、成功を分かち合っている。
卒業していくときに、「一番の思い出」が、ほぼ全員が「修学旅行」ではなく、その「組体操」だったことを覚えている。
しかし、その後の世論は、「組体操は危険である」と判断し、最終的に全国的な「組体操禁止」の通達が出た。
想いは別にして、その決定に我々現場は従うしかない。
運動会や体育祭など大きな行事には、各学校に「伝統」が存在する。
その呪縛から解放できず、PTAも学校も子どもたちも「辞める決断」ができないままでいる。
これまでやってきたことを、自分たちの時に変えてしまう(責任を負う)のができない。
しかし、昨年、今年で、コロナのせいにして「辞めるチャンス」が来ている。
しかし、それでも妙なバイアスがかかって維持しようとする流れもある。
「地域の学校」という側面もあるからなのかも知れない。
ここが「学校」という会社が新しい体制に生まれ変わらない難しさかも知れない。
「伝統化」せず、新しいものを生み出す力、時代に合わせて見直す力、状況に合わせて
変化する力を育てることこそが、これからの令和時代の社会を生きる上で重要だと思う。
やはり、我々大人が変わっていくことだ。
私も、現在、生徒たちともに「校則」を見直す取り組みを始めている。
「校則」も代表的な「伝統」だ。
でも、「伝統」は特別なものではない。
「残すべき」より「残ってほしい」ものだと思う。
歌舞伎の世界でもこう言われ続けている。
「伝統は革新の連続である」
変えるべきところは変えて、困難を乗り越えていく時であると、改めて思う。
常に、「Students first」(生徒最優先)を忘れずに。
街にあふれる「何でやねん」シリーズ
①沖縄は何でもありかい。
明日から子どもたちの金沢遠征に帯同しますので、また日曜日。
美味しいお魚をいただいてきます。