「あずぶろ。」

僕の頭の中。時々、僕が好きなもの。

「日本の学校教育のシステムはほとんど変わっていない」

「日本の学校教育のシステムはほとんど変わっていない」

 

まあ、しかし、何ですなあ(桂小枝風)。

 日本の学校教育は変わっていない。公教育はこの150年間、システムとしてほとんど

変わってこなかった。

 最近、代理で行かされた研修で、「学力テストで平均何点以上を取らせなさい」って

お偉い人とやらが現場に言ってくる。

「ほな、わてら、どないしたらよろしやろ」って質問したら、お付きの人みたいなメガ

ネに、「公務のため退出されます」って言われて、質問すら聞いてもらえなかった。


どこを目指せばいいの。

 

具体策も出さず、目標値と方針だけ文章で出して、あとは現場に丸投げ作戦。

真のリーダーのやる事じゃない。

一定の成果が出れば、そのお偉い人とやらの評価になる。

 そら、こんな状況で、「ガッコの先生」になんかなりたいと思う学生を探す方が

難しい。

 優秀な人材がどんどんいなくなり、教育の質の低下は否めない。

 就業形態は、家族は放置のサービス残業当たり前。

(私はしっかり定時で颯爽と退社します)

 そんな状況にも関わらず管理職は黙認。何も指導しない。夜遅くまでパソコンいじっ

ている残っている先生が「頑張っている先生」みたいな雰囲気。

 私が管理職なら間違いなく評価できないポイント。

 

 こんなアウト・オブ・デイトなブラック組織に誰が就職したいねん。

 あ、もう、わて、こんなん書きながら23年も続けてましたわ。

 でも、何とかせなあかんな。ホンマ。

 

 学校は、学習塾じゃない。

 学校では成績が良く優等生だったのに、社会に出てみるとなかなかうまくいかない、

優秀だと期待されていたのに実際の仕事では活躍できない。

 そんな思いを抱いたことはないだろうか。

 もしかすると、学校教育で育まれてきた力と、実際の社会で必要となる能力には、ギ

ャップがあるのかもしれないと考えたことのある人も多いだろう。

 

 子どもを育てる親たちは、不安の渦中にいる。

 社会を生き抜く力を身に付けさせなければならないと、乳幼児の頃から子どもを英会

話や運動教室、受験対策などに追い立てては焦るばかり。

 

 「子どもたちは、何のために学校で学ぶのか。」

 教育とは、自分だけが生き残るため、会社や組織で使える人材になるため、自国の経

済発展を支えるためにあるのだろうか。

 

 明日は、「子どもたちは何のために学校で学ぶのか」、「学校教育」とは何か、「学びの本質」とは何か、を真面目に綴ってみようと思う。

 

街にあふれる「何でやねん」シリーズ

①もっと「ホンマでっか」を使っていこう。

f:id:Azu-T:20210612073007j:plain

また、明日。