「あずぶろ。」

僕の頭の中。時々、僕が好きなもの。

「学級崩壊が起こりやすい」クラス

「学級崩壊が起こりやすい」クラス

 

もうすぐ6月が終わる。

皆さんのお子さんや通われている学校やクラスはどうだろうか。

 

経験上、4月から平和ボケしていた学校やクラスが、そろそろ荒れだす頃だ。

このメカニズムは、大人社会でもよく見る光景だ。

4月は緊張し、5月の連休で緩み、その後、明確なビジョンや達成目標、

また、その計画性もない組織やチームが迎えた6月は梅雨の湿気とともに大いに崩れていく。

 

ここでお伝えしておこう。

学校には、クライシス・マンス(魔の月)がある。

 

6月、11月、そして、2月だ。

 

理由は省くが、当然5月・10月・1月に丁寧な生徒支援ができていれば、絶対に学校やクラスは荒れない。

 

その丁寧な支援のスキルとして、大人の「甘やかす」と「甘えさせる」の違いをしっかりと認識しておく必要がある。

皆さん、この2つの違いを説明できますか。

 

「甘やかす」

大人の都合で子どもに何かを促したり、親の都合で子どもに言うことを聞かせようとすること

 

「甘えさせる」

子どもが主体で、子どものペースが守られている状態。

子どもがどうしてもできないことを手伝ってあげたり、子どもの思いを受け止め、それに応えてあげることで愛情を感じる。

 

学校側も同じことだ。

まさかと思うかもしれないが、学級崩壊を引き起こす大きな要因のひとつは、学級崩壊を起こしていないダントツにすばらしい学級担任の存在だ。

優れた担任が、逆に他のクラスの崩壊を誘発させる。

 

突出して人気のある教員がいる学年は、学級崩壊が起きやすい。

 

なぜなら、子どもたちが「与えられる教育」に慣れ、教員に依存し、比較ばかりするからだ。

「あのクラスはいい先生がいるな。それに比べてうちは……」とうまくいかない原因を自分たちに向けずに学級担任に向ける。

 

担任も担任で、自分のクラスがうまくいかないと自信を失う。

すると、焦る教員の気持ちが子どもたちに伝染して、さらに荒れる悪循環に入る。

学級崩壊が起こるひとつのメカニズムだ。

 

日本の教員全員が超万能なスーパーティーチャーなら学級崩壊など最初から起きないが、そんなことありえない。

教員も人間なので長所・短所があり、性格も異なり、経験の差もある。

だから、学級崩壊の問題は、実は「心の教育」と似ていて、

できもしないことを前提にしているから生じるのかも知れない。

 

担任制度など無くしてしまえばいい。

今一度、学校の存在意義、学校が担う役割を見直すべき時に来ている。

 

もう、今まで通り、昨年度通り、例年通りなど要らないし、計算ドリルや漢字練習など、

現代ではもう意味を成さないことが分かっているではないか。

 

でも、何も変わらない。

 

学校には、本質を見極めることができて、判断力に長け、責任感が強く、

そして、どんな圧力にも屈さない強靭なリーダーが必要だ。

そんなリーダーのいる学校は、絶対に荒れない。

 

「授業の中の生徒指導」

「授業の中の生徒指導」

 

 どの学校でもどのクラスでも当たり前に掲示している「授業規律」。

 文字通り、小中学校では、授業に対しての生徒の心構えを示す掟である。

 最近はこれをよく「○○スタンダード」とも呼んでいる。

 一度、授業が始まってしまえば、その焦点化された規律を生徒が遵守しているかどうかを一人一人、一つ一つ細かくチェックすることはまずない。初めのうちは生徒の気持ちが新鮮で、守ろうという意識よりも緊張感でいっぱいだからである。

 授業規律は授業者と生徒の間で無言のうちに成立する契約である。 

 

 さて、授業規律の善し悪しは、生徒の態度の善し悪しで評価されることが多い。

 しかし、裏を返せば、授業者の関わりに依るところが大きい。

 それは、生徒が単に規律を守るか守らないかということだけではなく、授業者がどんな授業づくりをし、どんな関わりを積み上げているかが大きく作用するからである。

 授業者は生徒の実態を受容し、生徒に合わせたやりとりをして授業を積み上げていくのだから、授業者が生徒と好ましい人間関係をつくれるかどうか、生徒同士の人間関係のやりとりを上手につくれるかどうかという点では、多分に授業者の指導力に依るところが大きく、むしろ授業者の力量に左右されることである。 

 それなのに、授業者が自らの指導力不足を棚に上げて省みず、生徒との関係の拙さを、生徒の規範意識の無さに置き換えてしまえば、益々生徒との関係は悪化し修正不能となる。

 ここまで来ると、いくら授業規律の大切さを声高らかに発したところで、生徒が授業者の注意を受け入れるわけもない。

 ならぬものはならぬという掟ではあるが、二者の関係性の前には、もはや無力に等しい。 

「授業の中の生徒指導」は、授業規律とは全く別個なものと考えるべきである。

 生徒がこの授業を大事にしたいと思わせる授業を創る物差しでなければならない。

 どんな実態があるにせよ、授業者が生徒の主体的な活動を授業の柱に据えるために、生徒の「考えたい、 話し合いたい、書きたい、説明したい、動きたい」 をどれだけ創造できるか。

 これが「授業の中の生徒指導」である。

 

 間違ってはいけない。

 生徒が規律を守るという意識は、授業を創りたいという願いや意欲=「授業の中の生徒指導」を土壌に生まれるものであり、それが逆転することはない。

 授業規律は、一方的に指導する授業者の盾に決してならない。 

 

 生徒は正直だ。授業者の鏡になっている。

 言い換えれば、生徒の姿に授業者の指導を改善するヒントが隠されている。

 そのことに気付けば、後は生徒を客観的に理解し対応する準備をするだけである。

 その一歩一歩に、「授業の中の生徒指導」という言葉が重なってくる。

 授業規律、規範意識の醸成は大切ではあるが、それをムキになって言い張ることは生徒指導ではない。

 子どもとのどんな困難な関係性の中にあっても、関わりの糸を切らさず、共に歩み、生徒の変容を捉える方法を見付け、準備し、仕掛け続けることこそが「授業の中の生徒指導」なのだ。

 

 次回提案

「シン・学習規律」

 生徒たちと教員が協力し、共に創るオリジナルの「授業スタンダード・改」を提案します。

「押し付けられるから、反発するんですよね」が提案する原点です。

 

「失敗してもいい。」

朝活アズメモ「失敗してもいい。」

 

とにかく前向きにやってみる。

 

それが大切な経験に変わる。

 

転ぶなら前向きに転ぶ。 

 

「なりたい自分」と「なれる自分」が一致しない 

要因=自分の特徴と憧れの人の特徴が違う人にはなれない

 

自分にないもので勝負しても勝てない

一生懸命頑張っても上手くいかない

自分の得意な所で勝負する

 

成功している人は、その人の特徴がはまっている。

例外はない。

 

ああいう人になりたい

ロールモデルを見つけなさい」とよく言われるが、

 

最も必要なロールモデルは、自分の特徴に似た人がどう成功したのか

 

その人の特徴が活きる環境を選択できたことが、特徴が芽が出て花が咲いた

 

 

自分特徴がわからない人

自分の強みがわからない

動詞で物事を考える。動詞の中に特徴・強みのヒントが隠れている。

「〜することが好き」

 

漫画を見るのが好き

「コンテンツを見て想像力をかき立てられるのが好き」

 

サッカーが好き

「サッカーの作戦を考えるのが好き」

 

自分がやってみて楽しかった動詞を50個ポストイット

 

Thinking(考える力)作戦を考える

 

Communication(伝える力) 人と接することが好き・人と話すのが好き

 

Leadership(人を動かす力)〜を成し遂げる

 

正解はたくさんある

失敗の選択肢

自分に合っていない職能にハマること

自分の特徴に合致した職能を選ぶ

 

自分の好きな事 どの属性に多いか 自分の強みがわかる

 

T(考えることが多い戦略家)ファイナンスコンサルタント・研究職・マーケティング

 

C(伝える力・人とつながる)営業職全般・プロデューサー・広報

 

L(変化を起こす力・人を動かす力)経営者・管理職・プロジェクトマネージャー

 

自分でコントロールできる

①自分の特徴の理解

②環境の選択

③特徴を磨く努力

 

「行動を変えるコツ」

人間なかなか変われない

意識=その瞬間に変わる

行動=染み付いた神経回路と筋肉

思った通りに行動できない

決めたのにできない

 

すぐに変われないことをあらかじめ覚悟して変わる

変われないことにガッカリしない

 

自分の価値を相手に理解させるためのブランディング

「私ってこういう人」

 

「自己肯定感自分に自信を持てない」

何かしたいが行動できない

 

自分に自信がありますか質問

日本人

何割の人がYES?

西洋の国 何の根拠が自信が? 

「なんか自分はやっていける」

 

行動に起こす頻度の差=経験不足=失敗・不安に対しての耐久力

強い自信→行動を起こす

行動は経験をもたらす

 

経験→不安に慣れる・自信を持てる→行動を起こす(ポジティブなサイクル)

 

悩んだ結果、悩んだままになっている人が多い 

行動に移せるかどうかで、経験を得られるか、得られないかの差

アクションを起こさないともったいない

 

人間 社会的動物

自分以外の他人にポジティブな影響を感じた時に「幸せ」を感じる

結局自分のためにやっている

自分の中でできることを作っていく

必ず特徴が合って、それは誰かの役に立つことを信じる

 

日々、勉強ですね。

 

「居心地のいい場所では自分は変えられない」

「居心地のいい場所では自分は変えられない」

 

皆さんの今の職場や周囲の環境はどうだろうか。

 

居心地のいい場所(コンフォートゾーン)での成長は難しい。

 

そこを抜け出して、目上の人、自分よりスキルが高い人、尊敬する人のところへ行く。

 

居心地の悪いところこそ、真の成長がある。

 

安心の領域(安全と感じる・コントロール下にある)

怖れの領域(他者の意見に影響を受ける)

学びの領域(新しい経験や知識を得る)

成長の領域(自分の目的を見つける)

 

限られた時間の中で、どうすれば成長できるか、常に考えたい。

 

三浦しをんさんの本は全部おもろい。

センスの塊。

「私がリスペクトする男」

「私がリスペクトする男」

 

(1)

 熱意だよ。

日本でも明治維新の時の政治家とか実業家は、熱意があったから、あれだけの仕事が

出来たんだね。

 

(2)

人に好かれようと思って仕事をするな。

むしろ、半分の人には嫌われるように積極的に努力しないと良い仕事は出来ない。

 

(3)

何かにしがみつかなければ、生きていけない根性なら、神頼みでもして、

鰯の頭でも信心していた方が、他人様の御迷惑にならんだけでもましだろう。

 

(4)

われわれは戦争に負けたが、奴隷になったのではない。

 

(5)

運転手を待たしてゴルフする奴なんか、ゴルフをする資格はない。

 

(6)

地位が上がれば役得ではなく「役損」と言うものがあるんだよ。

 

(7)

今の日本の若い人に、一番足りないのは勇気だ。

「そういう事を言ったら損する」って事ばかり考えている。

 

(8)

人様にしかられたくらいで引込むような心臓は、持ち合わせがない。

 

(9)

 自分よりも目下と思われる人間には親切にしろよ。

 

(10)

「すみません。」は駄目だ、「SAY THANK YOU」だ。

 

 

(11)

金払いはよくしろ、明るくふるまえ、特定の女とばかりしゃべるな。

そして、言い寄られたら「ノー」と言え。

 

(12)

おのれの好まざることを人に施すなかれと先祖代々教わってきた我々も、

人の好まざることを人に施した挙句、人の好まざることはやっぱりおのれも

好まざるものであったと気がついた。

因果応報。何をかいわん。

 

(13)

臭い物は蓋をしないで、いつか始末しなけりゃならないんだから、外へ出したらいいんだ。

 

(14)

日本人も日本も欠点だらけらしいが、人間も国家も完全ではあり得ない。

米国もまたその例外ではなかろう。

 

(15)

反省のない人間など使いものになるとは思わない。

 

(16)

お偉方諸氏もみんな一度は若かったのだ。

昔の若かった時代のことを思い出して見て下さい。

青年を扱うのに雅量と同情をもってして頂きたい。

 

(17)

いま日本でいけないのはすぐ人の脚をひっぱることだね。

これは大変な奴だと思うと脚をひっぱっちゃう。

だから日本で何かのトップにゆく奴は、毒にも薬にもならない奴が大部分だよ。

 

(18)

このごろのマスコミの論調をそのまま世論だとお思いめさるな。

国民はそんなに軽率でもないし一方的でもありません。

 

(19)

経済人はもっともっと自己反省してみても悪くはなかろう。

やれ補助金だ、やれ割当だと、こまってくるとすぐ政府になんとかしてくれと

泣きつく乞食根性は、もうやめてもらいたいものだ。

 

(20)

どうしたらよくなるか、それを工夫してゆくよりしょうがないじゃないか。

よくなるとかならんというよりも、よくするほかにみちがないことを認識すべきだ。

 

(21)

政治をやる人はもっともっと行政の対象の国民の立場になって考えてみるがいい。

農民の生活の向上を叫びたい人は、農民の生活がどんなものかと体験してからに

してもらいたい。

 

(22)

どうも日本人というのは、これは日本の教育の欠陥なんだけど、物事を考える時に、

物事の原則っていうことをちっとも考えないんだ。

 

(23)

僕は政治家じゃないし、人に何言われても一向に平気なんだ。

僕はそういう所、わりに旧式なのよ。

自分の良心はきれいだと思ってるから、人が何言おうと平気なんだ。

 

(24)

弱い奴が強い奴に抑え付けられるのは世の常で致し方なしと諦めもするが、言うことだけは正しいことを堂々と言って欲しい。

 

白洲次郎

 

最高の土曜日を。

『私がデザインする「ミライの学校」』

『私がデザインする「ミライの学校」』

 

変えるなら、ドラスティックに、ドラマティックに。

 

ズバリ、生徒も先生も、失敗を恐れず、チャレンジできる「みんなでつくる学校」。

 

学校の主役は生徒です。

 

肝心なのは、「チャレンジできる学校」というコンセプトに共感し、

 

一緒にチャレンジしてくれる仲間を増やしていくこと。

 

チャレンジを恐れないマインドを身につけた生徒や先生たちが、

 

さまざまな場面で、学校を活気づけてくれるはず。

 

(第一弾企画)

 

『生徒から「授業改善計画書」を提出させる』

 

 希望があれば、生徒たちから授業改善提案書の提出を。

 

ルールも双方で決める。

 

例えば、「授業改善提案書」の提案は先生への要望だけではなく、自分たちの問題点も明確にする

 

例えば、

 

「先生は講義をするだけではなく、生徒に作業をさせて、そのあとにワンポイントでアドバイスをしてください。

 

 そうすれば、私たちはフルパワーでやります。」

 

不平不満をいうのでなく、授業のデザイン案を示し、先生と生徒の役割が明確に書かれているもの。

 

 

(第二弾企画)

 

『行事は、「自分が作った学校・学年行事企画書」を提出させる』

 

こちらは、今から考えるから、詳細は未定。

 

 

とりあえず、「朝から元気がない先生」、

 

「学校がおもんない」とか愚痴っている先生、

 

自分の力量不足、勉強不足を生徒・保護者・地域のせいにしている先生へ。

 

 

周囲や環境のせいにせず、自分から発信すればいいじゃないですか。

 

何回も経験したけど、新しいことには現場のハレーションはマスト。

 

 

ただひたすら「チャレンジ」あるのみ。

 

学校を変えれられるのは、自分の行動のみ。

 

教師人生、そんなに長くない。

 

もうそんなに時間がないよ。

 

 

先生のその挑戦が、生徒たちを未来に連れていくんです。

大切な人たちと、最高の土曜日を。

「1本100円の水を、1万円で売ってきてください」

「1本100円の水を、1万円で売ってきてください」

 

YouTubeの企画などでよく目にする。

 

あなたならどうやって売りますか。

 

「未来のクリエイター」は何もないところから「価値」を生み出す。その価値を付加価値という。

そこには、センスが必要。

 

例えば、1本100円の水を1万円で売るにはどうしたらいいのか

 

その水に特別な効能がないとしたら、売り方のセンスの問題ではないのだろうか。

 

①その水に特別な意味をつける=企画力

②その水が売れる道筋を分析する=調査力

③その水の価値をうまく伝える=営業力

 

センスの磨き方

 

①その水に特別な意味をつける=企画力

芸能人が飲んでいるという口コミがあれば、その芸能人のファンが1万円であっても購入するかもしれない。

その場でしか買えないというプレミアがついていたら1万円であっても記念に購入するかもしれない。

水ではないが、クラウドファンディングで、なぜお金が集まるのかは、企画力があるからだと思う。

 

②その水が売れる道筋を分析する=調査力

水1本が必要とされている場所で、必要とされているタイミングで売られていたとしたら、価格がいくら高くても需要は高くなる。

特殊設備のあるサウナがあったとして、効能はめちゃくちゃいいのだけど、指定された水でないと持ち込むことができないとしたらどうだろう。

「すこしは水分を我慢しよう」と水をあらかじめ用意しなかったのにもかかわらず、

どうしても水が欲しいのにすぐ出ることができないといった状況だったら買ってしまうかも知れない。

このような環境を作るには多くの知識や技術が必要になるが、

このような環境があるということが分かれば、そこに水を提供するだけ。

事前に調査ができれば無駄も省ける。

 

③その水の価値をうまく伝える=営業力

「これは今健康志向の方にすごく人気の商品なんですが、ここだけの話、もうすぐ販売中止になっちゃうんです。

数が限られているので以前からご贔屓にしてくれているお客様にだけご紹介しているんですよ。」

「本当は2万円するのですが、1万円で売れるように上層部に交渉してきました。」

大切なのはその人の人柄や話し方。

普段から信用できる!と思われる人であれば「これとてもよかったです。買ってください。」と言うだけで何人もの人が買ってくれることもある。

 

センスの磨き方

ではそのセンスはどうやって磨くのか。

 

とりあえず、うまくいっている人を真似ること。

うまい考え方を持つ人を調べて真似ることはコスパもいいし、周りからの理解も得やすいと思う。

 

今度、生徒たちに授業でやろうと思っている。

生徒たちの勉強、知識以外の能力を引き出すために。

華金ですやん。

今週もお疲れ様でした。

最高の週末を。

「仕事はクリエイティブに。」

「仕事はクリエイティブに。」

 

上司からやらされるものは、「仕事」ではなく、それは、「作業」。

 

本当の「仕事」は、主体的でクリエイティブなものだ。

 

今の私の「仕事」は、転勤したての学校を変えること。

 

やるなら、ドラスティックに、そして、ドラマティックに。

 

周囲のハレーションが多いことも覚悟の上。

 

変えるのには、結構パワーがいる。

 

前例がなかったりすると、そこには不安があるから。

 

 

でも、やるんです。

 

「私、失敗しないので。」

 

子どもたちが、朝起きて、ワクワクする楽しい学校づくり。

 

誰もが安心、安全な学校づくり。

 

先生たちが、働きやすい学校づくり。

 

「誰かがやっている、どこかでやっている」学校ではなく、

 

唯一無二な完全オリジナル学校。

 

これが、私の今のお仕事。

 

毎日、最高に楽しい。

 

また次回。

「学力の三要素」

「学力の三要素」

 

昨日の会議でも爆発しそうになった。

 

ほんまに勉強不足の教師たち。

 

自分の成功例と経験則だけで時代遅れの授業を展開する教師たち。

 

自分の言うことを聞かなければ排除しようとする教師たち。

 

保護者とまともに話せない教師たち。

 

クラブの生徒にだけ偉そうにする教師たち。

 

保護者も我が子の教育に無関心

 

「○○高校・大学に入学したから○○だよね〜」

 

偏差値は❓平均は❓順位は❓

 

マジか。

 

もっと国はアピールしろ。今、我が国が進めている教育政策を。

 

子供たちに新しい時代に必要な資質・能力を育成する大人たちが、明らかな勉強不足。

 

そんな大人たちに評価される子供たち。

 

ところで、こういう方々は、退勤後や週末、そして休日は一体何をやっているんだろう。

 

金曜日だけやたらと派手な服装と化粧で出勤してくる女性教師がいる。

 

イジりたいところだが、私は「○○ハラ」とかすぐ言われるタイプなので、常に細心の注意は払って生きているので放置している。

 

この前の服装は、赤色のアウターに、白のパンツをコーディネートしたもんだから、生徒から「日本代表」って言われてた。

 

彼女は月曜日の朝は、常に顔が死んでいる。

 

自分の機嫌ぐらい自分で取っていただきたい。

 

まあ、プライベートは知らんけど。

 

 

自分でもうまくいっていないことにうっすら気付いているのに、居座り続ける意味とは。

 

転職したらいいのに。

 

いかに自分が一般社会にフィットしないか、そこでも改めて体験すればいい。

 

教師として採用されると、初任者研修に行く。

 

全員、一旦自腹で一般企業で社会の厳しさを教えてもらいに行くべきだ。税金のありがたさも身に染みるだろう。

 

 

社会にフィットしてない「日本代表」選手にならないために、ちゃんと「教育」しよう

 

「学力の三要素」

①何ができるようになるか

②何を学ぶか

③どのように学ぶか

 

学びに向かう力、主体性、知識、技能、思考力、判断力、実現力

 

最も重要なのは「主体性」

 

自分から取り組む姿勢、自分のことをしっかり理解する力

違う価値観の人と協働し、共生する力

 

説明できますか。

現在の「大学入学共通テスト」で求められている能力とは❓

 

 

さあ、子供たちに、何をどうやって身に付けさせようか。

毎日考えている。

考えに考え抜いて、それをカタチにしていくことこそが、我々大人の責任だ。

 

 

「これからの時代の新しい学び」

「これからの時代の新しい学び」

 

毎日のブログ更新ができないぐらいに、実に忙しい。

というより、自分で忙しくさせている。

現状に甘えて、こなしているだけでは自分の成長はない。

 

この4月に転勤し、立場も業務内容もリフレッシュしたこともあるが、

ボスからは抜本的な複数年計画での学校再編を任されており、今までのように生徒指導面からではなく、

学校全体のクリエイティブ・デザイナーとして、全く新しい学校を作っていくミッションだ。

つまり、歴史や伝統をぶっ壊す仕事。

やりがいはあるけど、毎日噴火するほど頭はフル回転。

でも、常に考えてるから、長い通勤時間も、飲み会中も、いいアイデアに巡り会えたりする。

考えていることは一つだけ。

 

「おもろいことないかなあ」

 

今の学校現場では、今だに同じ漢字を10回プリントに書かせている。

それを丁寧に書いて、期限内に提出すればOKになる。

もう「読み・書き・計算」の時代は、とっくの昔に終わっているのに。

 

この予測困難な時代においては、目の前の事象から解決すべき課題を見いだし、

自分(たち)で主体的に考え、多様な立場の者が協働的に議論し、納得解を生み出す力が求められている。

このような力を育成するための「学び」として、私は、まず、 生活科・総合的な学習の時間の全体計画の見直し、

校区の小学校と連携して、「PBL(課題解決型学習)」を提案することにした。

 

例題を挙げていますので、下の手順で、皆さんも挑戦してみてください。

考えるだけで、おもろいですよ。

 

①課題設定

②情報収集

③整理・分析

④まとめ・表現

 

(例)

●中学校に新しい教科をつくります。どのような教科を作りますか。

●日本の小学校はランドセルを廃止して、カバンを自由にすべきか。
● 自分の学校を世界中の人に知ってもらうためにはどうすべきか。

● 自分の学校の体育館を使って一億円稼ぐ方法
● 全校生徒で一億円稼ぐ方法
● 自分の学校を日本で一番有名にする方法

● 自分の学校をギネスブックに載せる方法

● 日本一面白い学校を作る方法
● 日本で唯一の部活を作れ
● テストなしで成績を上げる方法
● 屋上を使って生徒の幸福度をアップせよ

● 校舎をテーマに沿ってデコレーション計画
● 自分たちの学校を地域一番の観光名所にするには

不登校の生徒が来たくなる学校
スマホを使って学力アップ
世界中の10代が一緒に取り組む夢のプロジェクト