「本当に熱い人」と「本当は熱くない人」との見分け方①
■ 熱い人なのか、熱く話す人なのか
どんな目標を課せられても、常に達成させられる人とそうでない人とは、すぐに見分けができる。
達成させられる人は当然、皆さん熱い人ばかりだ。
ただ、この「熱い人」という表現は、一般的な人が抱いている印象と、私が抱いている印象とでは、かなり差がある。
「●●さんも熱い人ですから、先生と気が合いますよ」
と言われるので期待して会うのだが、残念ながら多くの人が、私が定義している「熱い人」とは違う。
最初のうちは、こういうこともあるのかなと思っていたが、何年も同じことがつづくと事情が変わってくる。
「美味しい焼き芋をつくるのに、火を起こしたい」と言ったら、マッチと新聞紙を持ってこられたような気分。
「火はつくけど、これでは焼き芋はつくれないだろう」「どんな種類でもかまわないから、炭を持ってきてよ」と突っ込みたくなる。
ですから、多くの人に、
「熱い人の定義、間違ってないですか」
と言いたくなる。
少なからず、「あれがやりたい!」「この夢を叶えたい!」と、思いの丈を語ってばかりの人を、私は「熱い人」と呼ばない。
大事なことは、何が熱いのか、何が情熱的か、ということ。喋りとか、話し方が、どんなに情熱的であっても、その人自身が熱いかどうかはわからない。
熱い人と、熱く話す人は違う。
■「あり方」と「やり方」
常に頭にあるのは、「あり方」と「やり方」の2つ。
「あり方」とは、どうあるべきなのか、どうありたいのかという事柄。まさに、夢であったり、目標であったり、ゴールと呼ぶべきもの。
そして「やり方」とは、その目標を達成させるための方法を指す。
「あり方」と「やり方」を考えたとき、必ず覚えておくべきことは、「あり方」は一つしかないが、「やり方」は無数にある、ということ。
これをやれば必ず達成する、という「やり方」はこの世に存在しない。
ということは、どんなに緻密な分析をして戦略を立案し、そのとおりに行動しても失敗することは多々ある。
だからこそリスクを冒してチャレンジする精神が大事。にもかかわらず、だ。
「先生に紹介したい人がいます。すごく情熱的な人なので、きっと先生と合いますよ」
と言われても、実際に会ってみると、話し方が情熱的なだけで、肝心な「人として」情熱的でないことが、とても多い。
それが、どうしてわかるかというと、前述した「あり方」と「やり方」を意識するからだ。
原則的に「あり方」はひとつしかないのに、
「私は必ず、子どもたちを笑顔にする世の中にしたいのです。そのために、こんなことを新たにやりたいのです――」
などと、「あり方」についてばかり語ろうとする。
30分や1時間ぐらいなら付き合いますが、夜の8時から飲みはじめて、朝の3時ごろまでそんな話がつづくと、
「いい加減、具体的に『やり方』の話もしませんか」
と言いたくなる。
実現したらどんな世界が広がっているのかという話はもうわかりました。はい。たしかにステキです。
おっしゃる通り、ぜひ、その夢の実現のために頑張りましょう。
手を貸しますよ。……で、何からやりはじめますか。
具体的に、いつから、何をやろうとしていますか。と尋ねると、すぐにトーンダウンする。熱かった語調が、いきなり冷える。(明日に続く)
街にあふれる「何でやねん」シリーズ
①パニック
また、明日。