「あずぶろ。」

僕の頭の中。時々、僕が好きなもの。

『受け身ではない「真の我慢」が自主性を伸ばす』新春長尺号

『受け身ではない「真の我慢」が自主性を伸ばす』

 

教壇に立って24年目。

本当に過保護な保護者が多くなってきたなという印象が年々強まっている。

 

三者懇談でも生徒に聞いているのに、なぜか母親が先に答える。

若い時だったので、イラッとして、

「お母さんに聞いてませんがね」と若干キレ気味に懇談していたのを覚えている。

 

少し内容から逸れるかもしれないが、うちの家族旅行にはルールがある。

全体の予算をある程度設定して、4人家族で、

自分自身が行きたい旅行先(海外も含め)、滞在ホテル、内容、見所などを4人全員がプレゼンする企画がある。

つまり、両親が旅行先を決め、連れられていく家族旅行ではない。

京都に住んでいるので、スマホでゲームしながら旅先を連れられ、

残念ながら面白そうではない子どもたちの姿をよく見かける。

我慢して付いてきているんだろうな、と思う。

 

本題に戻そう。

「我慢」という言葉を聞いたとき、みなさんはどんなイメージを持つだろうか。

子どもの頃、親や学校の先生に「我慢しなさい」といわれたことは誰もがあるだろう。

一般的に、我慢とは周囲の誰かに強いられるものというイメージが強いはず。
このケースなら、子ども自身は我慢しようと思っているわけではなく、親や先生が我慢させたいだけ。これは、いわば「受け身の我慢」

 

ただ、子ども自身がそうしたいと思ってする我慢もある。

たとえば、大好きなスポーツをうまくなりたいからと、肉体的にはきつくても一生懸命に練習やトレーニングに取り組むような我慢がそれにあたる。

これは、子どもが自らすすんでやる「真の我慢」といえる。

 

では、どちらの我慢が大事かというと、もちろん「真の我慢」。

というのも、自らすすんで行う「真の我慢」には、いわゆる非認知能力の発達に欠かせない「自主性を伸ばす」ということが伴う

 

また、非認知能力を伸ばすという目的以外にも、子どもの自主性を伸ばすことはとても大切だ。

意見はそれぞれだが、子どもの自主性を伸ばすことこそが、子育ての最終目標なのではないだろうか。

通常、親は子どもより長く生きることはできない。

子どもに「親から離れたあとも、自分で生きていける力」を身につけさせるには、自主性を育てることが大事。

これこそが、親の役割であるはず。

 

 

成長する子どもをよく見て、子どもの自主性に「任せる」

 

さて、子ども自らそうしたいと思ってやる「真の我慢」が大切であることは確かだが、そうはいっても、幼い子どもにはなかなかできることではない。

「真の我慢」ができるようになるのは、だいたい4〜6歳頃から

3歳くらいまでの子どもには、必要に応じて親がある程度コントロールして我慢させることも必要だろう。

でも、いつまでもそういう我慢をさせていては、子どもは「受け身の我慢」を続けさせられるだけだから、「真の我慢」によって自主性を伸ばすことができない。

その一方で、親が子どもの自主的な行動を容認することで、子どもに「真の我慢」が身につくということもある。

 

だからこそ、親が子どもにかかわるバランスが大切。

日々成長していく子どもの行動をしっかりと見て、親がかかわる度合を少しずつ減らしていく

そうして、これまでは子どもが自分でできなかったことが、子どもひとりでできそうに思えたなら任せてあげる。

子どもの「自分でやりたい!」という気持ちを尊重し、徐々に子どもの自主性に任せる割合を増やしていくことがなにより大切。

 

「褒める」より「認める」子育てを!

 

また、子どもの自主性を伸ばすことを考えるなら、近年流行している「褒めて伸ばす」子育てをするにも注意が必要だと感じる。

なぜなら、褒めることが子どもの自主性によくない影響を与えることが研究によってわかっているからだ。

 

これは、専門用語で「アンダーマイニング効果」と呼ばれるもの。

どういうものかというと、子どもが自主的にやっていることに対して褒めたりご褒美をあげたりすると、その行為を子どもがしなくなるというものだ。

 

たとえば、子どもがお友だちに対してなにか親切なことをしたとする。

親であれば褒めたくなる。 

でも、子どもというのはそもそも親切にすること自体が好きなのだ。

だから、ただ自分がそうしたくて自主的にお友だちに対して親切にしただけにすぎないということもよくある。

それなのに、「すごいやん!」なんて大げさに褒められたり、あるいはご褒美をもらったりすると、ただそうしたくてやっていたことの目的が、「褒められたい」「ご褒美が欲しい」というふうにすり替わってしまう。

すると、「褒められたい」「ご褒美が欲しい」というときには同じことをするかもしれないが、「褒められたくない」「ご褒美はいらない」というときには、それまでならすすんでやっていたことをやらなくなってしまう。

褒め方次第では子どもの自主性の芽を摘むことになるという点には注意が必要だ。

 

そこで、「褒める」よりも「認める」ことを意識して欲しい。

「すごいやん!」「天才かも!」といった大げさな言葉ではなく、子どもの行動をしっかりと見て、「頑張ってるやん!」「自分でやり切ったやん!」といった言葉で、「あなたがやっていることをきちんと見てるで」ということを伝えてあげてほしい。

それこそが「認める」ということであり、認められた子どもは「このままでええんや!」とさらに自主性を伸ばしていくことになるはずだ。

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褒めることより、認めること。

ではまた、明日。