「人生を楽しめる言葉」
「人生を楽しめる言葉」
①上司に理解されるようになったら、あなたが時代遅れになった証拠。
②どっちが勝つかわからない。
ただし、見物客が勝つことだけはない。
③アメリカの刑務所に行くと、前科何犯という人が将来の夢を語る。
私たちは夢から降りるのが早すぎるんじゃないか。
④信用されない人ほど、お金を持っていないと不安に感じるので、
お金稼ぎをやり続ける。
⑤もっとも相手に心に残る言葉は、相手の名前を呼ぶことです。
⑥面白いから一生懸命やるのではない。
一生懸命やるから、面白いのだ。
⑦人が苦しむ原因はたった一つです。
たくさんのものを手に入れようとするからです。
たくさんのものを手に入れたからといって、幸せになれるわけではない。
明日はラジオ収録のため、多分明後日かも。
「働くということ」
「働くということ」
飲み屋に行ったら、ネクタイ緩めたサラリーマンたちが、挙って同僚や上司の文句ばっかり。
「あいつがどうだ」「何であいつが俺より評価されてるんだ」
自分の戦闘能力は棚に上げて、他人の評価。能力や意識の高い人は、その時間に安い酒を飲んでないかも。
自分に投資をして、ビジネススクールやジムなどに通い、自分自身を高めてるかも。
世の中まだまだたくさん仕事あるのに。そんなに嫌なら、辞めたら良いのにね。
国が副業・兼業を勧める時代。自分のことは自分で守ってね。でも、税金はしっかり払ってね。まあ、天引きやから、あんまり実感ないだろうからええねんけど。
この国の「失われた30年」、是非調べてほしい。
誰かに雇われる時代は、もう終わる。
雇用する側や上司に「昭和」の考え方が未だに残っている。
「生活を一生保障して守ってくれるところ」、「会社のために働いて尽くす人が正義」
「とにかく仕事優先で上下関係や忠誠心が大切」、「男は黙って仕事のみに生きろ」
日本人は、大人になってからアジア1学ばない国民。すでに思考が停止してる。
もっと勉強して、特にお金の勉強して、スキルを身に付けて、転職すれば良い。起業すればいい。
みんな、のんびりしすぎ。しっかり準備しておきましょうね。
そこではやっぱり、「頑張ることより、夢中になること」を探したいですね。
①仕事の95%は繰り返しのルーティンワーク。
でも、残りの5%をどう膨らませるかで、仕事を面白くできるかどうか決まる。
②仕事がつまらないと言うけれど、実は自分がつまらないだけということもある。
③全ては仕事に関する取り組み方の問題であり、やりがいをつくるのも自分なら、
やりがいを失うのも自分だ。どんな仕事も楽しくできるのである。
④仕事というのは、一生懸命やらないと、かえって疲れる。
⑤道は2つしかない。過去から逃げるか、過去から学ぶか。
⑥仕事のやる気が出ない時は、迷わず机を掃除せよ。
⑦私は失敗をしない若い人は、あまり信用しない。
何もしてないことを証明するようなものだから。
「中卒」て。「中本」ですけど。
また明日。良き日曜日を。
「価値観の違いは悪いことではない」
「価値観の違いは悪いことではない」
価値観の違いはあって当たり前。
人間は誰一人として同じ人がいないように、
自分と価値観が全く同じという人はそうそういない。
そこを理解していないと、
人間関係で苦しむことになってしまう。
自分と異なる価値観に対して、「違うでしょ」と言い、
思いのまま相手にぶつけるのか、
「そういう意見もあるのか。面白い」
と思うのかで、人生のハードルは大きく変わる。
そして、価値観というのは、
自分の過去の経験によって形成される。
だからこそ、
自分と異なる価値観を持つ相手には、
「何でそう考えるようになったんだろう」と、
その人の背景の部分を想像してみる。
そうすることで、
「違うって面白い」ことに気付け、
その結果、相手の価値観も受け入れることができるようになる。
ただし、お金に関する価値観だけは別。
お金の価値観が違う人と一緒にいると苦労してしまうので、
そこはしっかりと判断しなくてはいけない。
良い週末を。
「第500話記念 教育者として思うこと」
「第500話記念 教育者として思うこと」
「教育現場への過干渉をやめる」
世間では親の過干渉がよく話題になるが、文部科学省も過干渉気味に私には見える。
良かれと思ってやっていることはもちろんわかるが、それではますます現場の教員は自分の頭で考えなくなる。
自分の頭で考えない教員が、自分の頭で考える子どもを育てられるわけがない。
不登校特例校や通信制高校やフリースクールの事例からわかることは、より多くの子どもたちにとって居心地の良い学校を目指すなら、必要なのは、足し算ではなく引き算の発想。
例えば、義務教育の標準授業時数を思いっきり削ってしまう。授業は午前中のみ。給食を食べて掃除をしたら下校。そうすれば現在の教師の過重労働問題もすみやかに解決に向かう。
コロンブスの卵のような話であり、あくまで思考実験であり、学童問題や部活問題など別の課題も生じることは予測できるが、ファンタジーとも言い切れない。
1990年代後半には実際に「学校のスリム化」が議論されたこともあった。小渕内閣の「21世紀日本の構想」懇談会報告書には、まさにこのような提言が盛り込まれていた。
「先生によって授業内容は違っていい」
限られた授業時数の中で、教員たちは自分の個性と得意分野を活かして、自分にしかできない授業をすればいい。
授業の中で、子どもたちにどれだけの知識や技能を詰め込んだかではなくて、どれだけ子どもたちの心が動いたかを追求すればいい。
大人になってから新しいことを学ぶのが面白く感じられるのは、テストのためという呪縛がないから。もし日本中の教員が、テストで点をとらせることなど忘れて、純粋に自分が専門とする教科の魅力を好き放題に語ってよいことにすれば、中高生の間、毎日学校に通って一日数時間の授業を聞いているだけで、生徒には相当な教養が身につくはずだ。そうすれば日本人の教養レベルは飛躍的に向上するはず。
半面、学びの自由度を高めれば高めるほど学力差がつくことが予測される。そこで、家で勉強を見てもらうこともできず学校の勉強すらままならないような子のために、放課後にしっかり個別補習を受けられる仕組みを整える。
そこにこそ公的な教育資金を投じ、彼らの学びの底板が外れないようにする。地域のボランティアの力を借りることもできるだろう。
そうすれば、理屈の上では、勉強がわからなくて不登校になるケースは減らせるかも知れない。
「学校をちゃんとしすぎない」
モザイク模様の学び環境だとか、義務教育を午前中だけにするなど、先述では壮大な思考実験を披露したが、あながちできないことではないと思っているし、そのうちそういう社会になるだろうという気は本気でしているが、すぐに実現できる話でもないことは確かだ。そしてそうこうしている間にも、子どもたちはどんどん大きくなってしまう。
では、不登校の問題に限らず、できるだけ多くの子どもたちにとって学校を心地よい学びの場にするために、社会としていますぐできることは何か。
最後に、一つだけ提案したいと思う。
「学校を、間違ったことを言ってもやってもいいところにする」
子どもにとっても、教員にとっても、だ。「細かいことは、まあええやん」の心意気だ。
時々ふらっと一人で立ち飲み屋さんに寄って帰ることがあるのだが、そこで知り合う、様々な業種の方々と意見交換をさせて頂く中で、たまに、「まじめって犯罪だよな」や「ふざけ・いたずら・ずる・脱線を止めない」や「『学校』をやるな」という言葉が出てきたりする。限度はあるが、要するに、「学校をちゃんとしすぎないようにしよう」ということだ。
少し難しい言い方をすれば、私たち大人が長年の学校教育のなかで受けた過度な社会化から、まず、私たち自身が今一度解き放たれて、もうちょっと「しぜん」に戻ろうということだ。
これだけでもできれば、大きな制度変更をしなくても、大きな予算をつけなくても、全国の学校の雰囲気が大きく変わると本気で思っている。
また、明日から2学期が始まる。私は、子どもたちのためになることだけを考え、企画していく。
医療ドラマ「ドクターX」で米倉涼子演じる大門未知子の名台詞、「いたしません」
院長回診、論文の下調べ、愛人の隠蔽工作、権力争いへの加担、学会のお供、ゴルフの送り迎え、出世のお手伝い、新年会・忘年会などの参加、研究のお手伝い、医務内の雑務、唯一無二の合唱、
医師免許を必要としない仕事は一切、いたしません。
私もプロ教師として、子どもたちのためにならないことは、「いたしません」。
そして、全ての生徒指導案件やその対応には、「私、失敗しないので」。
明日から言い放っていこう。
いつも読んでいただいてありがとうございます。
明日からもその日に感じたこと、書き綴って行きます。
また明日。
「人生を変えるヤバい考え方」
「人生を変えるヤバい考え方」
人にものを教えることはできない。
自ら気づく手助けができるだけ。
人間は、理解できないことを何でも否定したがるもの。
恐怖は常に、無知から生じる。
孤独は、優れた精神の持ち主の運命。
世界は一冊の本であり、旅しない人は本を1ページしか読まない。
長生きした人とは、人生を楽しんだ人のこと。
死は人生の終わりではなく、生涯の完成。
人生には2通りの生き方しかない。
一つは、奇跡などないと思って生きること。
もう一つは、あらゆるものが奇跡だと思って生きること。
沖縄から帰ってきました。
明日で500話。しっかり書きます。
では、明日。
「生徒・選手たちによくする話」
「生徒・選手たちによくする話」
「人を笑うな。人と笑え。」
「努力」よりも先に、「成功」が出るのは辞書だけ。
「勉強すればよかった」と後悔する人は山ほどいる。
でも、「勉強しすぎた」と後悔する人はおらん。
「はしゃぎすぎてアホなことをするのは、まあしゃーない。
でもな、「あいつが嫌い」を話のネタにして友達を作るのは、やめろよ。」
「はじめに質問する人は、次の人が続きやすくなる。
バカな質問をする人は、内容のハードルが下がる。
関係ない質問する人は、話が広がる。つまり、質問する人は偉い!」
「いつまでも親に迷惑かけさせんな」
(先生、こんな事やって将来何の役に立つんですか?)
「こんな事もできない君は、将来何の役に立つんですか?」
今日から選手30人を引率し、沖縄遠征に行きます。
青い海、青い空、そして、平和の大切さを確認しに行ってきます。
そのために、明後日火曜日までお休みします。
「自分の引き出しが少ない時に、人は怒る」「エッジの効いた言葉」
「自分の引き出しが少ない時に、人は怒る」
人は、引き出しが少ない時に怒る。
「そうした問題には、こうした方が良い」という経験がないと人は怒る。
だから、そういう(至らない)若手がいても、
「ああ、なるほどな。俺もそうだったな」と思えて、
それをちゃんと解決に導いてやる事ができれば怒らない。
だから、経験や失敗がいっぱいある人は怒らなくなる。
そうやって、人は「丸く」なっていく。
自分のやり方が、一つしかない人は、それからはみ出たことをする他人に、
「テメエ!何やってるんだ!こういう時はこうしろ!」
と自分のやり方を押し付けて、強引に自分流に持っていこうとする。
でも、別のやり方があると知っている人は、
「ああ、こういうやり方をしているのか。だったら、こうしてみろよ」
と怒らずにアドバイスができる。
だから、自分も成長しないと、世の中は腹が立つことばかりなんだと思う。
今怒りっぽい人も昔は何も知らなかったんだと思う。
だから、腹を立てることも少ない。
それが、だんだんと世の中のことがわかるようになってくる。
少し分かり始めてきたら、
「これはおかしい」と思って腹を立てるようになってくる。
これが、もっと経験を積んで、より分かるようになってくれば、
「そういうパターンもあるんだ。でも、そこまでなのか。だったらこうしたほうが…」
とアドバイスできるようになるのかも。
「エッジの効いた言葉」
砂浜は歩きにくい。
コンクリートの道は歩きやすいが、足跡は残らない。
万人に好かれようとしたら、誰かの心に刺さるような存在にはなれない。
緊張を嫌がるな、緊張する場面にいる自分を誇りに思え。
後ろ向きでも前には進める。
上手な模倣は、完全な独創である。
才能の差は小さいが、努力の差は大きい。
継続の差はもっと大きい。
人は理屈では動かない。
感情で動く。
だから感動する。
最高の週末を。
また明日。
失敗しなかった一日は、
何もしなかった一日。
「ダイソン創業者 ジェームス・ダイソン」
「ダイソン創業者 ジェームス・ダイソン」
世界一の掃除機メーカー「ダイソン」。
1号機が完成するまでの試作機は5,000台。
つまり、私は5,000回失敗した。
何度も諦めそうになった。
15台目の試作機ができた時、3人目の子どもが産まれていた。
2,627台目で生活はカツカツ。
3,727台目で貯金はつき、妻が働いた。
辛い時期だった。
しかし、どの失敗からも学びがあったこそ解決策が見つかった。
だから、失敗をすることに何の抵抗もない。
失敗に関しては私はエジソンに敵わない。
彼は、「失敗ではない。うまくいかない方法を1万通り発見しただけ」と言っていた。
1万回の失敗も、エジソンが得た1,093件もの特許の数を前にかすんでしまう。
成功の鍵は失敗です。
成功は99%の失敗でできている。
また明日。良い週末を。
明後日から沖縄!
「不幸な人と幸せな人の違い」
「不幸な人と幸せな人の違い」
不幸な人は、自分にないものばかりを気にして、
幸せな人は、自分にあるものに目を向ける。
不幸な人は、他人のためだけに時間を使い、
幸せな人は、自分のために時間を使う。
不幸な人は、好かれようと振る舞い、
幸せな人は、嫌われても気にしない。
不幸な人は、周りに期待し過ぎて、
幸せな人は、自分の力を信じる。
不幸な人は、やるべきことにとらわれて、
幸せな人は、やりたいことをやる。
不幸な人は、準備しているうちに諦め、
幸せな人は、今すぐ動き出す。
不幸な人は、過去にしがみつき、
幸せな人は、未来を見据えている。
幸せは、他人から与えられるものではなく、自分から生み出していくもの。
自分を幸せにできる人は、間違いなく、他人も幸せにできる。
アホなんか。
また明日。
「ホリエモン」
「ホリエモン」
こんなことを言ったら馬鹿だと思われる、
頭がおかしいと思われる、
笑い物になる。
残念ながら、真面目な人ほど「世間の目」を気にしてしまう。
つまり、どうにもプライドが高すぎる。
「勤めるなら大企業でないと…」
「マイホームぐらい持ってないと…」
「職を失うなんて恥ずかしい…」
自分の望みとは関係なく、
世間の目を気にして物事を決めてしまう。
そんなツマラナイ人間のハッタリなんかに誰も乗ってこない。
自分は恥ずかしくてできないが、
この人はフルスイングでやってくれる。
そういうスカッと突き抜けた
宇宙人のような存在にならなくてはいけない。
SNSを見るとよくわかる。
派手なハッタリをかましバカ丸出しで挑戦する人たち。
ロケットを飛ばす、美術館を建てる、
ユーチューバーになる、歌手デビューする。
そして、その挑戦をバカにし揶揄する匿名アカウントたち。
最初は周りがバカにし、笑い者にしても、とにかく目立つ。
ツッコまれることによって良くも悪くも注目される。
すると局地的に熱が生まれ、次第に共感が集まり、
結果として人とお金が回っていく。
今の時代「ツッコミ」であることには何の得もない。
「ボケ」をかまして最大の恥をかく。
そして、周りから叩かれる。
これこそが最高のプロモーションになるのだ。
プライドを捨てろ、そして、自ら恥をさらしに行くのだ。
また明日。