「あずぶろ。」

僕の頭の中。時々、僕が好きなもの。

「優しい先生と甘い先生。なぜ、そのクラスだけ、その授業だけが荒れるのか。」

「優しい先生と甘い先生。なぜ、そのクラスだけ、その授業だけが荒れるのか。」

 

市町村によって異なるが、それぞれの新学期が始まる。

優しい先生と甘い先生は、似ているようで全く違う。

荒れていく原因が、「学校の経営方針が」とか、「学年の取り組みが」ではない。

 

「安全を確保してくれるか」

 

子どもたちは本能的に先生のことをよく見ている。

その先生のことを試したりもする。

わざと悪い事をしてみたり、どこまでやったら怒られるのかを試す。

先生はそこを見落とさないで、逃げないで、誰かに任せないで、誠実に対応すること。

先生の対応を見て、子どもたちは、自分が事件やトラブルに巻き込まれた時、この目の前の先生は、自分の事を守ってくれるのか。こんなことを感じ取っている。

 

今、荒れているクラス担任や授業を担当する先生方を見ていると、明らかな悪いことも、それっぽい言い訳をして目を瞑ったり、見てみないふりをしたり、誰かに任せたり、この子はOK!この子はNG!と判断している。

 

こんなことをしていたら、子どもは絶対に信用しない。

 

どんな子でも、どんな場面でも、「アカンもんはアカン」と言える先生の存在が、間違いなく、そして、例外なく子どもは安心する。

本当に多い。こういう先生。「優しい」と「甘い」を履き違えてる大人。

 

これができないなら、「教師」とう職業は辞めた方がいい。

子どもが成長していく大切な時期に、一緒にいるべきではない。

 

海外での研究結果で、具体的なデータも出ている。ぜひ調べていただきたい。

幼少期に出会う親や親族以外の第三の大人とどんな関わり方をするかで、18歳以降の過ごし方も変わってくる。

 

皆さんのお子さんが通う学校、担任、授業担当者はいかがですか。

どんな先生ですか。

 

子どもに聞いても、自分に都合の良いようにしか言わないが、もし、そこで明確な疑問や不安に思うことが出てきたなら、臆することなかれ、それを担当する教師に直接聞いた方がいい。

今は、そういう時代だ。

もしかしたら、その学校は、その先生は、隠すかも知れない、逃げるかも知れない、見えていないかも知れない。

わが子のために、とことんまで向き合おう。

クレームではなく、任せるのではなく、学校教育に、親としての意見を、提案をしていこう。

そして、本気で子育てしよう。それが親の役割と責任だから。

 

あと、公立、市立の小、中、高の先生は地方公務員。もし、学級経営や授業に失敗しても、転勤や評価が下がることはあっても、顛末書や処分はない。法律さえ犯さなければ、定年を迎えるまで、地方公務員法第27条2項によって、その身分は保障されており、来年も再来年も仕事がある。

 

もう一度、確認しておこう。

 

「教育」は「人」なり。

良いお天気。最高の日曜日を。

では、また明日。

「なぜ、教育に改革が必要なのか」(祝!教え子たち!成人の日おめでとう!特別号)

「なぜ、教育に改革が必要なのか」(祝!教え子たち!成人の日おめでとう!特別号)

 

 「なぜ、教育に改革が必要なのか」と聞かたら、教育関係に携わる皆さんなら何と答

えるだろうか。

 私はこう答える。

 「私が初めて教壇に立った二十代の頃からあまり変わっていないから」と。


 学校の役割は、子どもたち一人ひとりをただ伸ばすことではなく、平和な世の中が来

ないのではないかと本気で思っていた。

 だから、どうすれば平和が勝ち取れるかというのを学ぶところが学校だと思っていた

が、若手の時はうまく説明することができなかった。

 ずっと実践を積み重ねながら、だんだん答えが見えてきた気がしている。

 それと同時に、日本社会や世界が今のようにどんどん変化し、ますます「自律を育む

教育」が必要だと思うようになった。

 

 ところで、日本の大きな課題とは何だろう。

 世界経済も大きく変化した。

 少し今日のテーマから外れるかも知れないが、皆さんもご存知の通り、日本が急速に

貧しくなりつつある実態が浮き彫りになっている。

 現実、日本の1人当たり名目GDPが2022年に台湾、23年には韓国に抜かれる。日本の

低迷の最大の原因は、デジタル化の遅れなどによる「労働生産性の低さ」だ。

 前回(21年12月)予測では、27年に日韓、28年に日台が逆転するとしていたが、大幅

な円安・ドル高でドル換算の金額が目減りすることで、逆転時期が前倒しになった。

 日本の1人当たりGDPは07年にシンガポール、14年に香港に抜かれた。NIES(新興工

業国・地域)と呼ばれるアジア4カ国・地域全てに抜かれることになる。

 

 円安の影響は我々の生活を少しずつ変化させているが、ここに京都にあるフォー◯-

シーズンズホテルに宿泊した日本人の話がある。

 その方は、ホテルに篭って仕事をしていて、お腹が空いたのでホテルでマグロ丼を注

文しようとした。金額を聞いて思わず受話器を落としたらしい。

 皆さんは、このマグロ丼一杯いくらだったと思いますか。

 「25,000円」

 タクシーに乗って餃子の王将に行かれたみたいです。

 

 テーマに戻そう。

 この30年間、賃金が上がっていない、その現状を全く変えられていないということ。

 日本企業への新産業への参入は進まず、ITも世界の先進国の中で後れを取っている。

 この「失われた30年」の問題はよく知られたことで、教育とどういう関係があるのか

と思うだろう。

 しかし、賃金が上がらない理由は、国全体の経済力(購買力)が上がっていない=人

口が増えていないことが最たるものであり、かつて世界の時価総額ランキングで、トッ

プ50社のうち10社以上を日本企業が占めていた時代は、人口も順調に伸びていた。

 したがって、物をつくれば売れる、誰かが成功するビジネスモデルがあればそれを真

似することで成功できた時代だった。

 

 ここからが問題だが、人口の増加が止まり、購買力が下がったことで、企業は商品を

安く売らなくてはいけなくなり、当然労働者の賃金が減り労働環境が悪くなっていく。

 だから、日本企業においては「高くものを売る」力、つまり自分自身で考え、行動

し、付加価値の高い仕事をする能力をつけなくてはならないのに、教育は依然として旧

来のままになっている。

「物を考えなくてよかった時代の教育を、子どもたちにしてはいけない」

 逆に、ニーズがあるにも関わらず、不採算になることなどを理由に誰も参入したがら

ないような仕事にも目を向け、自分たちでアイデアを生み出し、他人とコラボレーショ

ンをしてビジネスに変えていくような子どもたちを育てていかなくてはならない。

 

 今の飽食の時代、(宿題やテスト、塾通いの機会を)与えられ続けている子どもたち

は、もう自分では学びたいと思わなくなっている。

 だから自己決定・自己選択ができる子どもたちをつくらなければならない。

 私がやりたいのは、おかしくなった日本の教育を、現場レベルで「本質」に戻すこと

だと本気で思っている。

 教育委員会だろうが、校長になろうが、よっぽどの行動力とリーダーシップがない限

り実現できないと思う。

 なぜなら、今も変わっていないのだから。

 

「この時代に、学校と教師が求められる教え方」

 科学技術が目覚ましい発展を遂げ、AIによる戦争が可能になりつつある一方、気候変

動やエネルギーの枯渇など、自分の国だけでは解決できない問題が山積する時代に突入

している。

 私は、このような問題に対し、教育改革のもう一つの役割は、「対立をどう解決す

るか」だと思う。

 2020年、日本の小中高生の自殺者数は20年に過去最多の499人となり、子どもたち

を教え導く立場にある公立学校教職員の精神疾患による病気休職者の数は年間5,000人

を超えた。

 学校で心を病んでしまう人の多さが窺える数字。一番の問題は、心の教育だ。心の教

育が日本をダメにしたと思っている。

 

 道徳の授業やボランティア活動などを、学生時代に経験した方は多いだろう。

 問題は何か。

 文化も価値観も考え方も異なる人が集まるところでは、必ず対立が起こる。

 それを日本では、例えば学級を『心を一つに』『絆』『一致団結』というスローガン

の下に、〝一足飛び〟にまとめようとしてしまう。

 様々な対立やトラブルを「心の教育」で解決しようとすると、結局は乱暴な教育にな

ってしまう。

 

 「七十にして己の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず」。

 孔子はそう言った。

 孔子のような大人でさえ、70歳になって初めて、自分の心の赴くままに行動して人の

道から逸れることはなくなったと言っている。

 それほど心のコントロールが難しいのが人間なのだから、対立を解決する「対話」を

身につけなくてはならない。

 

 これが、私が子どもたちに伝え続けてきた「対話」の大切さであり、先述した二十代

の新米教師時代からの志(=世界の平和)に繋がる道なのだ。

 もし仮に、私が学校の長をやることがあれば、その学校で設定する教育目標は、間違

いなく「自律・対話・創造」だ。

 

 一度主体性を失った子どもたちの主体性を取り戻すことは非常に難しい。そのポイン

トは何かと言えば『自己決定させることができるかどうか』だ。

 

 また、連休明けから、子どもたちのいる現場でやってやろう。

 教科書には載っていない大切なこと。

 まずは、生徒全員で行う「新春論理的思考クイズ大会!」。やってやろう。

 

(出題予定問題)

 「明日、イギリスの女王が来日します。

  ケーキをつくりなさいと言われたら、あなたはどうしますか?」

 

(解答例)
・暖味な点について明確にできるか
・相手の視点に立てるか
・創造性のある解決策が出せるか
・自分のアイデアをまとめられるか

 

この観点から考えると、問題文には情報が不足しているので、

 ①いつ、どのような目的で供されるケーキなのかを確認する
 ②女王は高齢なため配慮が必要かもしれない、またどのようなお味をお好みか調べる
 ③ケーキを作ることに関する指示を出してきたのはどこか。依頼主の考えもあるかもしれないので確認する
 ④これまでに日本で召し上がったケーキの情報はないか、お気に入りの物はないか、新しい物を作った方がいいか
 ⑤もし宮中晩さん会で食事の最後に出される物であり、新しいケーキを出したいという依頼主の意向であれば、お体に配慮して日本的な抹茶やゆずを使った軽めのケーキを作成する

 このようなことが盛り込まれた解答が好ましい。

 実際に仕事においてざっくりした指示しかもらえなくても、目的を確認しさまざまな方向に配慮しながら、自分自身のアイデアを実現していく能力があるかがわかる。

充実した連休を。成人した皆さま、おめでとうございます。

では、また明日。

「人生のバッテリー残量」

「人生のバッテリー残量」

 

20代 残り約76%

 

30代 残り約64%

 

40代 残り約58%

 

50代 残り約40%

 

60代 残り約27%

 

70代 残り約15%

 

これは、人生を3万日と仮定した残りの時間。

 

人生は、スマホやパソコンのように充電できない。

 

時間は限られている。

 

会いたい人に逢い、

 

食べたいもものを食べ、

 

行きたい場所に行く。

 

残りの人生、

 

目一杯、楽しもう。

 

金曜日。明日から連休。さあ何しよ。

では、また明日。

「教師として持つべきチカラ」

「教師として持つべきチカラ」

 

私は尊敬する先生がいた。

 

なぜ、あの先生には、子どもは素直になれるのか。

 

なぜ、あの先生の前だと態度が違うのか。

 

なぜ、あの先生には人がついてくるのか。

 

その先生は、優秀な先生だけど、優秀だけでなく、それを超えた何かがある。

 

教師として、人としての魅力。

 

人が人を教育することって、

 

人として魅力を感じさせるような人間でないといけない。

 

私が尊敬する先生も、失敗したり、授業は適当だったけど、子どもや先生には好かれている。

 

「あの先生のようになりたい。」

 

こうやって思うのは構わないが、羨ましいと思ってはいけない。

 

羨むことは、自分を否定することになる。

 

あなたはあなたの魅力で勝負。

 

経験年数も年齢も関係ない。

 

魅力的な教師になろう。

 

さあ新学期の準備。

では、また明日。

「忘れられない名言」

「忘れられない名言」

 

①植物も人間も根が健全なら葉っぱも言葉も腐らない。

 

②ムキになるな。ひたむきであれ。

 

③知っているだけでは「資料」。活用してこそ「知識」。

 

④1位と最下位の差は大したことない。ゴールは一緒だから。

 

⑤人生とは自分を見つけることではない。人生とは自分を創ることである。

 

⑥なりたかった自分になるのに遅すぎるということはない。

 

⑦あなたの人生を代わりに生きてくれる人はいない。

 

もうお正月も終わりやね。切り替えていこう。

では、また明日。

「凛とした人」

「凛とした人」

 

①自分軸で生きている

 

②一人の時間も楽しめる

 

③メンタルが安定している

 

④前向きで明るい

 

⑤しなやかな強さを持っている

 

⑥執着しない

 

 

最後の「執着しない」というのは重要で、禅語でも、

 

「好事不如無」(こうずもなきにしかず)

 

という言葉があり、

 

これは、執着心を生んでしまうのであれば良い事さえ無い方が良い、

 

という意味の教え。

 

確かに私たちはついつい良いことをすると、見返りを求めてしまいがち。

 

例えば、

 

「家族のためにトイレを綺麗にしたのに…」

 

「一生懸命頑張って仕事を終わらせたのに…」

 

「彼のために美味しいご飯を作ったのに…」

 

などと良い事をしたのに、

 

お礼がなかったり、やったことすら気付いてもらえなかったりすると、

 

イライラしてしまった経験は無いだろうか。

 

こうなってしまう原因は、相手に見返りを期待してしまっている時で、

 

良い事をすれば感謝してもらえるということに「執着」してしまっている。

 

そうなってしまうと、良いことも美しい行為ではなくなってしまうことはおろか、

 

相手の反応に一喜一憂することになり、

 

自分自身も苦しめることになる。

 

執着心は身を滅ぼす。

 

悪いことはもちろんのこと、良いことですら握りしめたり、囚われすぎたりせず、

 

潔く、凛とした生き方をしたい。

 

正月休みはのんびりやね。

また明日。

「2023年を最高の一年にするために」

「2023年を最高の一年にするために」

 

 今年の目標を、「頑張らない」ことに決めた。

 

 お布団に入って、いっぱい寝て、いっぱい食べて、いっぱい笑う。

 

 自分を追い込まないこと、急がないこと、無理しないこと。

 

 生きる速度をうんと落として、優しさで生きようと思う。

 

 

 

 「言っていることではなく、やっていることこそが、その人の正体」だと思う。

 

 

 今年の夏、私はまた大きな花火を打ち上げる。

 

 聞いたこともない挑戦をさせてもらうし、周囲に免疫がないから、色々なハレーションも起こるやろけど、私には関係ない。

 

自分で考えて何もしない人が、行動してない人が、云々いう資格はない。

 

 会議でも一緒。

 ある人は、その提案に反対はする。私は、「それでは、対案は…」と聞くと、何も返ってこない。

 今だに多数決で決めようとしている輩もいる。もっと勉強してから会議に参加してほしい。

 判断基準が、自分の経験や成功例、失敗例のみでしかない薄っぺらいもの。すでに思考停止してる。相手にならない。

 

 

 さあ、2023年はゆっくり準備。

 

 急がないし、無理もしない。

 

 誰もためでもない。全ては、子どもたちのため。ただそれだけ。

 

 

 皆さん、人間が一番生きている喜びを感じる瞬間はいつだと思いますか。

 

 「周囲から感謝された時」です。私は、すでに体感している。

 

 

 年始に整理しておこう。

 

 「過去の延長線上に未来はない。」

 

 

 誰かが歩んだ場所、そこにはすでに道があって舗装もされている。

 

 そこには、先人たちのたくさんの失敗や後悔もあるから、道標や写真、教科書があります。

 

 私は、誰も歩んだことがない場所を、自分のペースで歩いていくのが好きです。冒険が好きです。

 

 つまり、誰かが作ったレールの上を目的もなく、ただ歩いていくのが嫌いなんだろう。

 

 理解し難い趣味かも知れないが、新しい道のその先にある景色や香りを探す。

 

 そこに自分の生きていく価値を感じているのかも知れない。

 

 それを、誰かが笑ってくれて、喜んでくれる。

 

 

 いつも読んでくださっている皆さんHE。

 

「何かしよう」「何かしたい」と思いがあるのなら、お金がないから、時間がないから、子どもがいるから、前例がないから、先輩に色々言われるから…

 

 こんなおもろない言い訳はせず、環境のせいにせず、ぜひ明日からではなく、今日から、今この瞬間から。

 

 失敗しても誰も見てない。その挑戦は、自分しか知らない。

 何もしない方が失敗。何も恥じることなんかない。

 

 課題が見えているのに、見て見ぬふり。口ばっか。もうええやろ。

 

 まず、「行動」です。

 

 また、皆さんのアクションプラン、教えてくださいね。

 

 たとえ誰かに馬鹿にされたとしても、

 

 言葉にしたり、文字に起こして、みんなの前で発表すると、必ず思い通りになりますからね。まず、ここから。

 

 私は、行動する人を心から応援します。

 

 そういう人たちと一緒に時間を共有したいです。

 

「想いは、カタチに。」

 

ゆっくりいきましょう。

慌てない、慌てない、一休み、一休み。

また明日。

「ウェルビーイング」2023年元日記念号。

ウェルビーイング」2023年元日記念号。

 

2022年は、皆さんにとってどんな1年だっただろうか。

教育関連の動向を思い起こしてみると、キーワードの1つは「ウェルビーイング」なのではないかと思う。

ウェルビーイングというのは、身体的・精神的・社会的によい状態を指す。

幸せや幸福と訳されるときもあるが、もう少し広い概念だ。

現在、文部科学省中央教育審議会では教育振興基本計画という国の教育政策の根幹となる次期計画を検討しているが、直近の素案では、子どもたちと社会のウェルビーイングがキーコンセプトになっている。

 

子どものウェルビーイングは高いか?

最近の大きなニュースの1つは、こども基本法が6月に成立したことだ。従前も子どもの権利条約で求められてきたことではあるが、改めて国内法としても整備されたものだ。簡単にまとめると、

 

・つねにこどもの最善の利益を第一に考えること。

・すべてのこどもについて、適切に養育されること、その生活を保障されること、愛され保護されること。

・すべてのこどもについて、その年齢および発達の程度に応じて、意見を表明する機会および多様な社会的活動に参画する機会が確保されること。

 

などが定められている。子どものウェルビーイングを大切にすることが理念となっているのだ。

折しも、ロシアによるウクライナ侵攻(ウクライナ戦争)では、子どもたちの学びの場や生活が突如として奪われる現実を目の当たりにした。遠い外国のことと見ていてよいだろうか。

日本だって、国際情勢次第では、いつどのような危機に直面するかわからない。

子どもの基本的な人権やウェルビーイングを保障していく民主的な社会をつくっていけるかどうかは、いまの私たちと将来世代にかかっている。教育基本法第1条では「平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質」を育てることが教育の目的とされている。

この意味を改めて考えたい。

国内に目を向けると、新型コロナの影響で、子どもたちは我慢を続けている。修学旅行などが中止となった学校もあるし、受験生には相当な緊張を強いている。もはやマスク姿がデフォルトになっていて、「取るのが恥ずかしい」と述べる児童生徒も少なくない。大人は飲み会などで適度に息抜きしているかもしれないが、多くの地域では給食時間も黙食が続いている。

先日公表された調査によると、不登校の小中学生は急増し、2021年度は過去最多の約24万人に上る。これを含む長期欠席の児童生徒は40万人を超えている。年間30日以上欠席した者のみ長期欠席者としているので、不登校傾向の子も含めると、もっと大勢になる。学校だけが学ぶ場ではなく、ほかにも選択肢はあるかもしれないが、学校のこれまでのやり方や空間ではつらい、楽しくないという子どももとても多いという現実を示している。

 

こうしてみると、子どもたちのウェルビーイングを高められているかと言われると、さまざまな問題、課題があるのではないか。

 

教職員のウェルビーイングはどうか?

子どもたちのウェルビーイングを大切にしていくには、家庭の役割はもちろんのこと、社会や地域も重要だが、やはり子どもたちが長い時間を過ごす、学校について、ここでは注目したい。教職員は、子どもたちの異変や問題に気づきやすい数少ない大人だ。

ところが、多くの学校はとても多忙で、先生たちに余裕がない。

22年3月、4月に行った教職員へのアンケート調査したところ、8割以上の教職員が「仕事に追われて生活のゆとりがない」と答えている。管理職や同僚との関係に悩みを抱えている人も多い。

先生たちからは「みんなパソコンにばかり向き合って仕事していて、職員室で雑談もない」「飲みニケーションもなくなって、ほとんど話したことのない同僚もいる」という話をよく聞く。

児童生徒の問題行動や保護者からのクレームなどは、よく情報共有されているし、複数人のチームで対応する学校がほとんどだろう。しかし、教職員の情報や困り事についての共有はあまりなされていない。

個業化・孤立化しており、職場での支え合いや助け合いが薄くなっている可能性がある。

こうした事態を悪化させているのが教員不足、講師不足だ。

今年度の教員不足は昨年度より深刻化しており、年度後半にかけてさらに増えている。

どこでも聞くのが「産休・育休や病気休暇の代替となる講師が見つからず、困っている」という声だ。教員定数を満たしたところで、世界一忙しい業務量なのに、欠員状態ではなおさら、しんどい状況である。

このような状態で「先生は、子どもたちのつらさやSOSにもっと気づけ、ちゃんとケアしろ」などと周りが言っても、限界はあるだろうし、さらに学校現場を苦しめてしまう。子どもたちのウェルビーイングを大切にしたいなら、まずは教職員のウェルビーイングを高めることが不可欠だ。

 

絆創膏を貼り続けるような教育政策

しかし、日本の教育政策をざっくりレビューするなら、教職員のウェルビーイングには冷淡な姿勢が続いている。

教職員数は大して増えないのに(むしろ少子化により減少する側面もある)、仕事は増えているし、前述のとおり、子どものケアやコロナ対策、ICT活用などもあって、仕事の難易度は上がっている。文科省教育委員会はこの問題にまったく無策であったわけではないが、抜本的な対策を講じることはできていない。

現に「チーム学校」といった掛け声はあるものの、教員以外のスタッフは非常に少なく、協業できる機会は限られる。

ある小学校は、スクールカウンセラーもICT支援員も2週に1度くらいしか来ないので、必要なときにいない。(体制整備や支援の頻度は、自治体ごとにかなり差がある)。

2022年は、7月に教員免許更新制が発展的に解消されたことが大きなニュースの1つであるが、研修履歴の義務化など仕事を増やしてしまっている。教員採用試験の倍率の低下が著しい自治体も少なくない。教職員を応援するという姿勢が行政に弱いことを学生は感じ取っているのではないか。

前述の次期教育振興基本計画の検討素案でも「子供たちのウェルビーイングを高めるためには、教師のウェルビーイングを確保することが必要であり、学校が教師のウェルビーイングを高める場となることが重要である」とは書かれているものの、具体策は乏しい。ついでに述べると、教師のことしか述べておらず、教員以外のスタッフはここでも蚊帳の外である。

むしろ、教育振興基本計画などでは、子どもたちのウェルビーイングのために、学校と教職員のやることを、相変わらず、のんきに増やし続けているようにも見える。

これまでの反省をしない、文科省と一部の識者などの悪い癖ではないか。

例えるなら、大ケガをして出血多量な人がいるのに、教育行政は、ばんそうこうをあちこちに貼って、いちおう対処したふうに見せている。手術や入院(抜本的な対策や環境整備)が必要かもしれないのに。

 

子どもたちのウェルビーイングを保障し、高めるために、根本的に何が足りておらず、重要なのか。

2022年をしっかり振り返って、来年こそは進めたい。

今年も宜しく。

また明日。

「大晦日」

「大晦日

 

2022年、さようなら。そして、ありがとう。

 

今年もたくさん楽しいお酒を呑みました。

今年もたくさん美味しいもん食べました。

 

今年もたくさん笑いました。

今年もたくさん泣きました。

今年もたくさん考えました。

今年もたくさん書きました。

今年もたくさん読みました。

今年もたくさん学びました。

今年もたくさん喋りました。

今年もたくさん行動しました。

今年も一生懸命生きました。

 

今年もたくさんの方と出逢えました。

今年も大切な方を亡くしました。

 

2023年 よろしく。

前人未到、前代未聞。

準備は整いました。

ワクワクしかない。

結果は後から追いついてくる。

さあ、やってやろう。

 

SNSで拝見する皆様のご活躍が私の原動力です。

私は、また誰かの笑顔のために、あいも変わらず生きていきます。

また明日。新春特別号。

「最近、感動した本たち。」

「最近感動した本」

 

老いなのか、最近、全力で走っている子犬のスロー映像を見て、ひとり目頭が熱くなった。

 

①「桜のような僕の恋人」宇山 圭佑

泣ける小説の王道。序盤の疾走感、中盤の苦しさ、そして終盤の…。全てが引き込まれる。

 

②「喜ばれる人になりなさい」永松茂久

ベストセラー作家による、母の教えの物語。

帯にもあるように、読み終えた瞬間に両親と話したくなる。

 

③「さよならの向う側」清水 晴木

人は死後、24時間だけ現世に戻れる。

ただし、そこで話せるのは「自分が亡くなったことを知らない人だけ」。

家族愛、恋愛など色々な感動が詰まった素敵な作品。

 

④「カラフル」森 絵都

中高生に特にオススメ。亡くなった魂が、自殺した学生の肉体に乗り移る物語。

 

⑤「ふたりの糸の色」安藤 康司

最近読んで見事に感動した恋愛小説(電子書籍

男子大学生がある女性に恋をするのだが、その相手がなんと、「殺人者の娘」だった。

紡がれる愛と事件の真相の先には何があるのか。

ドキドキと感動と衝撃が全て詰まっている。

 

今年もあと2日。

やり残したこと全部やってしまおう。